「鍼はコスパが悪い」とネットで書かれているのを見て、モヤっとしたこと、ありませんか?あるいは「保険は使えますか」と受付で聞かれて、一瞬言葉に詰まったこと。
どちらも、開業していればいつか通る道ですよね。この記事を読むと、海外の費用対効果研究の中身と、その数値を日本でどう扱うべきかを、自分の言葉で説明できるようになります。
結論
海外には「鍼は費用に見合う」とする経済評価があります(ドイツ・英国)。一方で英国NICEは、腰痛への鍼を2016年に非推奨へ反転させました。ただしNICEは2021年、慢性一次性疼痛については条件つきで「考慮する」としています。評価は割れているのが実態です。
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大事な前提をひとつ。費用対効果の数字は、その国の医療制度を土台に計算されたものです。日本の療養費体系にそのまま持ち込むことはできません。
日本の療養費制度の要点|対象6疾患・医師の同意書・受領委任
まず足元の制度を、要点だけ押さえておきましょう。
① 対象と根本要件
協会けんぽの案内では、神経痛・リウマチ・頸腕症候群・五十肩・腰痛症・頸椎捻挫後遺症の6疾患が挙げられ、これらと同一範疇と認められる慢性的な疼痛を主訴とする疾患も対象となりうるとされています。根本の要件は「慢性病であって、保険医による適当な治療手段のないもの」です。
② 医師の同意書
同意・再同意はいずれも、医師の診察を経たうえでの文書交付が必要とされています(平成30年10月1日施術分以降)。「医療機関で治療しても効果が現れなかった場合」は典型例のひとつであり、受診歴そのものが要件として示されているわけではありません。
③ 医療機関との併給はできません
協会けんぽは、はり・きゅうの施術を受けながら並行して医療機関で同じ傷病の診療を受けた場合、はり・きゅうの施術は健康保険扱いとはならない、と明確に示しています。投薬や湿布の処方を受けた場合も同様です。
④ 受領委任は保険者ごとの任意参加
受領委任(患者さんは自己負担分のみ支払い、施術者が残額を保険者へ請求する方式)は、はり・きゅう等では平成31年(2019年)1月施術分から始まりました。ただし取扱いは保険者ごとの任意参加であり、すべての保険者が対応しているわけではありません。施術者側も、地方厚生(支)局への申出と承諾(登録記号番号の取得)が前提です。
▶ 療養費・同意書の実務は別記事で詳しく解説予定です
海外の費用対効果研究|QALYとICERの読み方
ここから海外の話です。まず、専門用語を2つだけかみくだいておきます。
QALY(質調整生存年)とは、生活の質を加味した寿命の単位です。1年間を完全に健康な状態で過ごせることを「1」として数えます。
ICER(増分費用効果比)とは、そのQALYを1つ追加で得るのにいくらかかるかを示す数字です。金額が小さいほど、費用に見合うと評価されやすくなります。
英国では、£20,000〜£30,000/QALYあたりが「見合うかどうか」の目安とされてきました。円に直すと、ざっくり380万〜570万円ほど(1ポンド190円で単純換算)。為替も物価も動くので、あくまで規模感としてご覧くださいね。
ドイツの実用的RCT|ICER 10,526ユーロ/QALY
ドイツで、慢性腰痛への鍼を評価した大規模研究があります。実際の診療に近い形で行われた研究で、解析対象は約1万1,600人です。
デザインの読み方に注意が要ります。これは「鍼を通常ケアに上乗せした群」と「通常ケア単独の群」を比べたものです。3ヶ月後の腰痛の機能スコアは、上乗せした群のほうが良好だったと報告されています。
そして1QALYあたりのコストは10,526ユーロ。1ユーロ160円で単純換算すると、およそ170万円です。著者らは「比較的費用対効果が高い」と結論づけました。
エビデンスボックス① 出典と研究の詳細(深く知りたい方向け)
Witt CM, et al. Pragmatic randomized trial evaluating the clinical and economic effectiveness of acupuncture for chronic low back pain. Am J Epidemiol. 2006;164(5):487-496. PMID:16798792
- デザイン:実用的RCT+非ランダム化コホート(ドイツ)/上乗せデザイン(鍼+通常ケア vs 通常ケア単独)
- n = 11,630(総計。うちランダム化部分が約3,100人、残りは非ランダム化コホート)
- アウトカム:Hannover Functional Ability Questionnaire(腰痛の機能障害尺度)
- 効果量:3ヶ月時点の到達値 鍼群 74.5点(SE 0.4)/対照 65.1点(SE 0.4)、群間差 9.4点(95%CI 8.3–10.5)
- ICER = 10,526ユーロ/QALY
- 限界:対照は通常ケアであり、偽鍼との比較ではありません。ドイツの医療費構造・2000年代の価格が前提です。
英国のRCT併行分析|£4,241/QALY・閾値達成確率90%超
英国でも、持続する腰痛への鍼の経済評価が行われています。2年間の追跡で、1QALYあたり£4,241と算出されました。
円換算でおよそ80万円(1ポンド190円)。先ほどの£20,000/QALYという目安と比べると、かなり下に位置します。実際、この閾値で費用対効果を満たす確率は90%超と報告されています。
エビデンスボックス② 出典と研究の詳細(深く知りたい方向け)
Ratcliffe J, Thomas KJ, MacPherson H, Brazier J. A randomised controlled trial of acupuncture care for persistent low back pain: cost effectiveness analysis. BMJ. 2006;333(7569):626. PMID:16980315
- デザイン:RCTに併行した費用効果分析(英国)
- ICER = £4,241/QALY(2年間)
- £20,000/QALY閾値での費用対効果達成確率:90%超
- 限界:英国NHSの費用構造・2000年代の価格が前提。日本の療養費単価や自費料金とは別物です。
ただし、NICEの評価は2016年で止まっていません
ここが、この記事でいちばん正直に書きたいところです。経済評価が良好でも、それだけで推奨されるとは限りません。
英国NICEは2016年のガイドライン(NG59)で、腰痛・坐骨神経痛への鍼を非推奨としました。2009年の旧ガイドライン(CG88)が鍼を推奨していたのを、反転させた判断です。理由は費用ではなく、臨床的有効性の評価軸にありました。
ところが、話はここで終わりません。NICEは2021年のガイドライン(NG193/16歳以上の慢性疼痛)で、慢性一次性疼痛に対して鍼またはドライニードリングの1コースを「考慮する」と推奨しています。
しかも、その推奨にはコストの条件が付いています。band 7相当以下の医療専門職が提供すること。そして、医療専門職の関与時間5時間以内、または同等以下のコストで提供される場合、という条件です。
つまり実態はこうです。腰痛・坐骨神経痛(NG59, 2016)では非推奨、慢性一次性疼痛(NG193, 2021)では条件つきで考慮。「NICEは鍼を否定した」と単純化するのは、不正確です。
そして費用対効果を考える鍼灸師にとって、NG193の条件は示唆的ですよね。「効くかどうか」だけでなく「どれだけの人手とコストで提供するか」まで含めて評価されている、ということです。
注記
NG59の判断根拠やMID(臨床的に重要な最小差)の設定に関する記述は、二次情報にもとづく要約です。原典の逐語確認は行っていません。NG193についても要旨レベルの参照であり、原典の逐語確認は未実施です。
NG59が何をどう比較して判断したのか、その中身は臨床エビデンスの記事で詳しく扱っています。
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海外の費用対効果を日本の療養費にそのまま持ち込めない3つの理由
海外の良好な数字は、つい引用したくなりますよね。でも、ここは慎重に。
① 比較対照が違えば、結論が変わる
これが最大の理由です。通常ケアを対照にすると(ドイツ・英国の研究がこれです)、鍼を上乗せした群は有利に出やすくなります。偽鍼(にせの鍼=刺さらない鍼などを使った対照)を軸に据えると、差は縮みます。NICEの2016年の判断は後者に重心がありました。
② 医療制度が違う
ドイツもNHS(英国)も、日本の療養費とは費用の発生のしかたが違います。自己負担割合も、施術料の設定も、償還のしくみも別物です。
③ 価格と時点が違う
どちらの経済評価も2006年公表です。当時の通貨価値・医療費水準を土台にしており、円換算はさらに為替の影響を受けます。
だから正しい引用のしかたは、こうです。「海外では費用対効果が良好と報告された研究があります」。「日本でも同じ数字になります」ではありません。
患者説明トーク例|「保険は使えますか」「コスパ悪いのでは」への答え
そのまま口に出せる形で、2つ用意しました。
トーク例①(保険について聞かれたとき)
「はり・きゅうは、条件が合えば保険(療養費)を使える道があります。ただ、医師の同意書が前提になります。診察を受けたうえで、文書で出していただく形です。それと、同じ症状で医療機関にかかりながら、こちらも保険で、という併用はできません。受領委任を扱っているかどうかも保険者によって違いますので、加入先への確認をお願いできますか。」トーク例②(「鍼はコスパが悪いのでは」と言われたとき)
「海外では、鍼が費用に見合うと報告した研究があります。一方で英国の公的機関は、腰痛については推奨を取り下げ、慢性の痛み全般については条件つきで考慮としています。対象や比べ方によって評価が分かれているのが、正直なところです。患者さんによって感じ方は変わりますので、当院で決めつけることはできません。まずは回数と費用の目安を決めて、途中で一緒に確認していきましょう。」
どちらも、断定しないのがポイントです。「割れています」と正直に言うほうが、かえって信頼につながりますよ。
よくある質問
Q. NICEは鍼を否定したということですか?
単純化しすぎです。腰痛・坐骨神経痛(NG59, 2016)では非推奨ですが、慢性一次性疼痛(NG193, 2021)では提供者の職種とコストの条件つきで「考慮する」とされています。対象疾患ごとに判断が分かれている、と理解するのが正確です。
Q. 医療機関に通いながら、同じ傷病ではり・きゅうを保険で受けられますか?
いいえ。協会けんぽは、並行して医療機関で同じ傷病の診療を受けた場合、はり・きゅうの施術は健康保険扱いとはならないと示しています。投薬や湿布の処方を受けた場合も同様です。
Q. 受領委任は、どの保険者でも使えますか?
いいえ。取扱いは保険者ごとの任意参加で、対応していない保険者もあります。施術者側も地方厚生(支)局への申出と承諾(登録記号番号の取得)が前提です。
Q. 海外の「£4,241/QALY」を自院サイトに書いていいですか?
推奨しません。あはき法7条は広告可能事項を限定列挙しており、効果や有効性はそこに含まれません。海外の異なる医療制度下の数値を自院の裏づけとして使うと、景品表示法の優良誤認にあたるおそれもあります。学術的な文脈で紹介する場合も、①英国NHSの費用構造・2000年代の価格が前提であること、②日本の療養費や自費料金には当てはまらないこと、③NICEが2016年に腰痛への鍼を非推奨とした経緯があること、を併記してください。最終的な判断は、顧問の専門家や所属団体にご確認ください。
まとめ
- ドイツの研究はICER 10,526ユーロ/QALY(約170万円)、英国は£4,241/QALY(約80万円)と良好な経済評価を報告しています
- ただしドイツの研究は上乗せデザイン(鍼+通常ケア vs 通常ケア単独)であり、偽鍼との比較ではありません
- NICEは腰痛(NG59, 2016)で非推奨、慢性一次性疼痛(NG193, 2021)で条件つき考慮。「否定した」と単純化するのは不正確です
- NG193の推奨には提供者の職種とコストの条件が付いており、費用対効果の視点が組み込まれています
- 数値がひっくり返る最大の要因は「何と比べたか」。海外の数字を日本の料金や療養費の裏づけには使えません
- 自院サイトへの数値掲載は、あはき法7条・景表法の観点から推奨できません
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参考文献
- 全国健康保険協会(協会けんぽ)「はり・きゅう等のかかり方」 リンク
- 静岡県「療養費の手引き(あん摩マッサージ指圧・はり・きゅう)」 リンク
- Witt CM, et al. Pragmatic randomized trial evaluating the clinical and economic effectiveness of acupuncture for chronic low back pain. Am J Epidemiol. 2006;164(5):487-496. PMID:16798792
- Ratcliffe J, Thomas KJ, MacPherson H, Brazier J. A randomised controlled trial of acupuncture care for persistent low back pain: cost effectiveness analysis. BMJ. 2006;333(7569):626. PMID:16980315
- NICE. Low back pain and sciatica in over 16s: assessment and management (NG59). 2016. リンク
- NICE. Chronic pain (primary and secondary) in over 16s: assessment of all chronic pain and management of chronic primary pain (NG193). 2021. リンク
今後の確認予定文献(本記事では未参照)
PMID:22863652(RCTに併行した経済評価を横断的にレビューしたシステマティックレビュー)※原典未精読のため、本記事では数値・結論を引用していません
【制度に関する注記/ご一読ください】
本記事の制度情報は、協会けんぽの一般向け案内および静岡県の保険者向け手引きを参照した目安です。厚生労働省の療養費通知原典の逐語確認は行っていません。同意書の更新期間や受領委任の運用、併給の判断などの細部は、保険者・地方厚生(支)局によって取扱いが異なる場合があります。実務では、加入保険者と管轄の地方厚生(支)局の最新通知で最終確認をお願いします。
免責事項
本記事は鍼灸師向けの学術・実務情報であり、特定の治療効果を保証するものではありません。制度に関する記載は執筆時点の公開情報にもとづく目安であり、法的・行政的な助言ではありません。療養費の取扱いは加入保険者および地方厚生(支)局の最新通知が優先されます。実際の請求・運用および広告表現の可否は、ご自身で最終確認のうえ判断してください。

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